2008.10.22
昨日の夜は全然寝れなかった。
しかも、ブログでカチカチと書いたから、それって何だとおもうと余計眠れず、
だからゆっくり “価値” について考えてみた。
今回よくわかったが、経済や市況はそれ自体狂ったように動くという現実、歴史
から読み取る周期はあっても、その相場予測ができない。だからはたしてそこに
物の価値というものは存在するのだろうか。
つまり、価格と言うのは価値の推定値ではなく、時に価格の動きそのものが、
価値を破壊してしまうこともあれば、価値を増大させることもある。
では、現在進行形でいつも変わらないその場での価値というのはあるのだろうか
相場価格で価値は変わるし、さらに人によってお客様によって自分や他人でさえ
価値が違うのに、その価値判断とはいったいなんなんだろう。
はじけると解っていても、そのバブルに乗っていかなければいけない。
市況暴落の中、株価を上げた企業でも、それがはじけても体力があるから
痛手を受けていないだけで、社会のどこかでバブルの恩恵を受けたわけだし、
理想論や経済制御ではなく、それは相手があって商売を営む資本主義経済
の基本だし、ライバル企業同士の競争社会も共存や協調にもそれは繋がる。
さらに鉄価格について、儲けた会社も全然関係なかった会社も損した会社も
興味がない会社も、実社会の実体経済を考える上で、物の価値というのは、
その会社の理想論や感情で動いているという考え方ははたしてできるのか。
実は、経済が発展する事や景気が悪い事、企業業績が良し悪しと言う事自体、
バブルなのではないか。
それぞれ違う価値を考えてみる中、私達リサイクル業界に当てはめてみると、
有償もありえないだの、逆有償はありえないと、公言してしまうことこそ価値がない
人間のすることじゃないかと自分自身反省する。
それは、その車の価値を判断するのはその所有者や市場であって、私達ではない
素材が良いから高かったり、中古部品が売れるから買取ったり、エンジンの程度が
良いから余分に払ったり、誰や何と区別して決めているのだろうか。
それこそ、企業営利=自分勝手な考え方なのではないだろうか。
買取り価格を変えず、もしくは上げても下げても高くても安くても一定でも、価値に
合わせるという事を所有者に押し付けるのは、その価値を判断していない事になる。
鉄や、自動車リサイクル部品業界の取り組みによって、己の会社が決める事自体、
営利が働く事自体、経済の計画的な制御、社会主義経済ということになる。それだと
昨日の反対だ。
では、企業活動を行なう中、、、誰がその車の買い取り価格を決めるのか・・・
やはりそれは所有者だけや市場だけではなく、資本主義経済で営利事業を行う
企業同士が有償なのか逆有償なのか決めるべきではないのかそれとも違うのか。
やばい出張中今日も寝れない。